毒ガス警報発令中!!
お袋に花束
2014-02-09 Sun 18:37
天涯孤独のつもりで人生を送っているが、実は年老いたお袋がいる。
ただし、音信不通歴15年以上。

幼少のころ、すでに親父が嫌いだった。
高校を卒業したての頃、売り言葉買い言葉的言い争いをした翌日家を出た。
受験に失敗し浪人するか否かのときに、何かとレールを敷きたがる親父に
「ちったぁ(少しはの意)俺の思い通りにさせたってくれや」と。
ま、世間ではよくある、ありふれた親子喧嘩。
「そんなに自分の思い通りにやっていきたいんなら、おのれ一人で食うていってみいや!」
ま、これも世間ではよく耳にするセリフ。
ただ、直情型バカの俺は
「おう、食うてったるやんけ!」と翌朝求人誌を買い求め、入寮制でそこそこ給料のいい職場を探し、夕方には京都府宇治にある鶏卵の卸問屋で面接してもらい、採用された。
仕事なんて何でもよかった。
いけいけドンドンの阿呆ガキだから、どんな仕事でもこなせるつもりでいたし、実際に中高生のあいだにいろんなバイトもこなしていた。
自分で言うのも変だが、どの仕事でも上手に立ち回り、周りの大人たちにも可愛がられた。
その小器用さがいけなかった。
それが短絡的な独立(自分では家出とは思っていない)を促した。
この瞬間が俺の負け組人生、それもボロ負け人生のスタートラインだった(笑
件の喧嘩の翌日、仕事とヤサを決めたその足で車を借りて、家の近所に隠し停め、夜更けを待った。

お袋は俺を厳しく躾けたが、その実俺を溺愛していたから、家を出たのが分って毎日嘆き悲しんだようだった。
2年ほどして親父たちとは一旦和解したが、その後もどこかよそよそしい、うわべだけの付き合いが続いた。
で、いい年こいた40過ぎのころに絶縁。
お袋を嫌ってたわけではないが、お袋だけと連絡を取り合うというような器用なことは出来なかったし、当時は経済的にも精神的にもこれっぽっちも余裕がなかったため、お袋も放ったらかし。

その大嫌いだった親父も9年前に食道癌で逝った。
延命治療も施さず、俺の事も呼び戻さなくともよいとホスピスで自分の死を静かに待ったと聞いた。
素晴らしくいさぎの良い親父の最期には尊敬の念すら感じる。
それに引き換え、死に水どころか葬式にも顔を出さなかった俺は究極の親不孝者である。
こうなったのは必然だと思っているから、後悔はしていない。
が、親父と本音で語り合えなかったのはひどく残念だ。
だから贖罪のつもりで、時間があれば墓参りに通っている。
今さら遅いが。

そして俺たちの、この確執のとばっちりで、今は一人ぼっちで生活するお袋には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
周りの友人たちは一度帰れと言ってくれる。
今はよき親友の元カノジョなんかは、一緒に帰ったろかとまで言ってくれている。
が、しかし実家の敷居が高すぎる。
最高峰チョモランマよりもはるかに高い敷居が立ちはだかる。
大袈裟なと笑って下さるな。
世の中には不和や確執にてそう感じる人はいっぱいいるはず。

2月11日、建国記念日がお袋の誕生日。
毎年この日が近づいてくると、必ずお袋を思い出す。
が、毎年なにかをするわけでも、何かを贈るわけでもない。
いまだ経済的には余裕がないが、以前に比べ気持ち的には少々ゆとりが出来たんで、何かをプレゼントしようかなと。
もう、ほとんど気まぐれ的な思いつき。
お袋にとっては、もしかしたらいい迷惑かも。

で、こじゃれた花屋さんで大きな花束の配達を頼んだ。
匿名で。
花屋の美人店長は最初戸惑っていたが、何とか了承。
受け取り拒否をする場合があるらしい。
そりゃそーだわな、名を伏せた奴から花束もらったって気持ち悪いわな。
その時ゃしゃーないですと言って納得してもらった。

名前を伏せるには俺なりの理由があった。
いや、15年も音信不通のバカ息子から花が届いたら
「ん?金の無心か」とか「私もそろそろくたばる年だから、遺産狙いか?」って思うんじゃね?
まぁお袋にそう思わせるのも可哀想だし、そう思われるのもシャクだしね。
たとえバカ息子からって分っても、匿名だったらそうは考えないんじゃないかなと勝手に思ったのだ。
名を伏せて金の無心をする息子もおらんじゃろうて。

さてさて、生まれて初めてお袋に贈った花束(過去、鉢植えは贈ったことがある)の運命やいかに。
門前払い喰らわなきゃいいのにな。




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